不憫さを確かめる日記 16

小学五、六年生の頃の話。

クラス内で、窃盗事件が多発した。最初はクラスの半分の人間の名札が一斉に盗まれ、後日、学校から少し離れた野球グラウンドの花壇に埋められているのが発見された。その次はクラスの3分の1ほどの歯ブラシが盗まれ、その後は特定の5人の女子に絞られ被害が続いた。私はその被害者5人のうちの1人だった。私が盗まれたものは数多にわたる。名札、歯ブラシ、私服、体育着、ノート、定規、ペン、ハンカチ、鍵盤ハーモニカ、、私の道具箱やロッカーの中身は3、4割が盗まれていた。そして、それは半年から一年後、破壊された状態で発見されるのである。最悪の気分だった。ここで私が考えるのは、(母親に買ってもらったのに…)ということであった。たかが定規でも、たかがハンカチでも、母親が働いたお金で買ってもらったものが壊されたのだと思うと、悲しくて涙が出た。しかし被害者は私の他にも4人ほど居たため、"いじめを受けている"というような感覚ではなかった。(結果的には1対5だったのである。) ある日の放課後、担任に『お家の人に連絡したいから放課後家に電話をかけたいんだけど、ご両親のどちらかはいるかな?』と聞かれ「ああ、いると思います」と適当に答えてしまった。しかしその日のその時間は母親は仕事で家を出ていて、父親が仕事に行く前の時間であった。急いで家に帰ったものの、案の定父親が電話をとったらしく、ひどく心配された。弟と姉が家にいることを配慮して、私は部屋に連れていかれ、2人きりの状態で話をされた。電気もつけずに扉を閉めて、背中をさすられながら『そんなことする奴が馬鹿だから気にするな』と慰められたが、私は悲しくもないのに涙が出た。そんな風に慰められると、ますます自分が可哀想な状況に置かれているのだということを理解してしまって、そのどうしようもなさに涙が出てくるのだ。泣けば泣くほど父親は私が辛いのだと勘違いして慰める。慰めは私にとって逆効果であり、最悪の状況だった。父親が仕事に行き、母親が帰ってきた。私はお風呂に入っている母親に扉越しに「学校で私物を盗まれている」と自ら伝えた。すると母親は特に扉を開けたりもせず、『気にする必要ないよ』とだけ言った。私はその距離感が何よりも信頼できたし、何よりもありがたかった。しかし、この学校での出来事は総じて私の人間不信をますます成長させたのであった。