不憫さを確かめる日記

不憫さを確かめる日記 24

中学一年生の冬ごろの話。 それまで10年ほど住んでいた都営アパートはとっくに契約の期限を過ぎており、引っ越さなければいけなかった。父親が主となって引越し先を決めた。離婚をするならこのタイミングがベストだと私は思っていたが、母親は片親の経済力で…

不憫さを確かめる日記 23

中学一年生の頃の話。 小学校を卒業して、中学に入学するまでの春休みの間、母方の実家に父親を除く4人で帰省していた。東京に帰ってから、翌日の仕事のために早く寝た母親の分の荷物を勝手に私が片付けていると、キャリーバッグのポケットから、空欄の離婚…

不憫さを確かめる日記 22

中学一年生の頃の話。 当時、テレビで流れる積水ハウスのCMが本当に嫌いだった。夜ご飯の間、父親がいるときは沈黙を紛らわすためにいつもテレビの音量を上げていたのだが、そこに「世間で理想とされる家族関係」と、「広くてきれいな家に住めるような経済力…

不憫さを確かめる日記 20

中学生の頃の話。 その頃から、誕生日と、母の日、父の日は毎年地獄だった。父親の方針で夜ご飯は必ず家族みんなで食べないと許されなかったが、とりわけ誕生日や母の日父の日は、特別なことをしないといけなかったから、地獄だった。特に誕生日はつらかった…

不憫さを確かめる日記 18

中学一年生の頃の話。 その頃すでに会話のほとんどなかった両親が喧嘩しているところを目撃する。私が学校に行く前の朝、部屋で支度をしていると、リビングから怒鳴り声が聞こえてきた。どうやら母親は、父親が買ってきた "(その頃流行っていた)頭皮に沿わせ…

不憫さを確かめる日記 17

小学校高学年くらいの話。 私が小学一年生の頃までは、母親は専業主婦をやっていた。しかし、小学二年生になった頃からは母親が仕事をするようになり、私の家庭は共働きとなった。私は、母親が父方の祖母からひどい扱いを受けているのをこっそり知っていたし…

不憫さを確かめる日記 16

小学五、六年生の頃の話。 クラス内で、窃盗事件が多発した。最初はクラスの半分の人間の名札が一斉に盗まれ、後日、学校から少し離れた野球グラウンドの花壇に埋められているのが発見された。その次はクラスの3分の1ほどの歯ブラシが盗まれ、その後は特定の…

不憫さを確かめる日記 15

小学五年生の頃の話。 私が通っていた小学校は生徒数が少なく、当時は1学年につき1クラスしかなかった。そのためクラス替えという概念がなく、一年生から六年生になるまで同じクラスメイトで過ごすのが普通とされる学校だった。 そんな中、そこそこ仲のよか…

不憫さを確かめる日記 13

小学四年生の頃の話。 担任の若い男が紛れもなくカスだった。 カスエピソード1 1時間目の体育の授業でクラスの誰かが怒られたためにその説教が全体に向けられ、給食になるまでの4時間(四時間‼︎)校庭で体育座りをしたままクラス全員で説教を受けたことがある…

不憫さを確かめる日記 11

小学校低学年の頃の話。 図工の時間、近所の風景写真を写生する授業内容だった。はじめに細いボールペンで下書きをして、次に絵の具で塗る手順だった。私はボールペンで、団地の窓を真四角くに描いていた。すると当時の図工の女の先生に、『建物が向こうに向…

不憫さを確かめる日記 10

小学二年生ごろの話。 水泳の授業が本当に苦手だった。心配性の自分は、より水泳というものに向いていなかったのである。背も低かったせいで、特に足がつかないところを泳ぐのが苦手だった。溺れて息ができなくなる事を考えると焦ってしまって、余計に呼吸が…

不憫さを確かめる日記 9

小学二年生の頃の話。 ある日の放課後、「明日家に誰もいない時間に地震が起きて、ハル(飼い猫)が家具に潰されて死んじゃったらどうしよう」とひとりで不安になり、心配で号泣してしまった。母親に泣きながらそれを訴えると、『ハルは賢いから家具が倒れてき…

不憫さを確かめる日記 8

小学一年生のときの話。 新しく新任したカウンセラーの男の人と、生徒は一度面談しなければいけなかった。その男は、学校のおたよりの自己紹介の欄に「好きなもの:妖怪ウォッチ」と書いて、子どもの注目を集めていた。私はその浅はかな計らいから、その男に…

不憫さを確かめる日記 7

小学一年生のときの話。 学校に行くといつもどうしてか気分が悪くなって、保健室に通っていた。寝ても良くならないから、母親に迎えに来てもらって、よく早退していた。いつも、近くのコープでおにぎりを買って帰った。家に帰ると、学校にいたときとは一変し…

不憫さを確かめる日記 6

小学一年生の頃の記憶。 まだ入学して間もなかった頃、その日は入学してから初めて雨が降った日だった。毎日姉と一緒に登校していた私だったが、「雨が降る」という "いつもと違うこと" が起きているのが不安で、家から出ることができず泣き出してしまった。…

不憫さを確かめる日記 5

幼稚園生の頃の記憶。 「今日は父の日なので、お父さんの似顔絵を描いてプレゼントしましょう」という園の指示があった。画用紙にクレヨンで描くのだが、私は父親の髪の毛や髭をなぜかこだわって、一本一本ていねいに描いていた。しかし、家に帰ってから意気…

不憫さを確かめる日記 4

幼稚園生の頃の記憶。 これから出かけるという母親に、その頃よくCMで流れていた、たまごっちのピンク色のケータイ電話のおもちゃ(たまともケータイ)を、「買ってきてねー!」と冗談で笑いながら軽く言ったら、ほんとに買って帰ってきてくれて、ひどく驚いた…

不憫さを確かめる日記 3

幼稚園の頃の記憶。 園の友達と、そのお母さんが家に遊びに来た。その子が履いてきた靴にはきれいな水色の宝石がついていて、お姫様みたいだった。低めにつくられた子ども用のヒールは、その頃の私にとってはすごく大人びて見えて羨ましかった。でもうちには…

不憫さを確かめる日記 2

おそらく幼稚園生の頃の記憶。 大きな虹色のうずまきキャンディを買ってもらえたことが嬉しくて、「写真撮って〜!」と母親にねだった。しかし何か大事な作業をしている最中だったので、母親からは薄い返事しか返ってこなかった。私が何度も何度もしつこくね…

不憫さを確かめる日記 1

おそらく幼稚園生の頃の記憶。 ある日の夜、姉と母親の三人で、写真にラクガキができるWiiの内蔵ソフトで遊んでいた。しばらくの間姉がWiiリモコンを独占していたので、「ゆづもやりたい!!」と私は駄々をこねていた。しかし母は「もう夜遅いから寝なさい」…